大阪国際文化協会

あっぷる de アート「猫の見返り美人図」

猫が1匹こちらに視線を投げかけている・・・
ただそれだけの絵なのに、美しい緑の眼に惹きつけられます。

 

 

作品名:班猫(はんびょう)
製作年:1924
サイズ:81.9×101.6cm
所蔵 :山種美術館 重要文化財
作者 :竹内栖鳳(たけうちせいほう) 18641942

 

美しく見えるポーズの1つに振り返る姿があります。
ひねりが入ることで生まれるS字曲線(反転S字もあり)が美に繋がっているのです。
このポーズで思い出したのが、浮世絵の祖とされる菱川師宣の「見返り美人図」です!

 

作品名:見返り美人図
製作年:17世紀(江戸時代)
サイズ:63.0×31.2cm
所蔵 :東京国立博物館
作者 :菱川師宣(ひしかわもろのぶ) 16??1694

 

竹内栖鳳の「班猫」は、振り返りポーズ+上目遣い(あざとい仕草代表?!)
こうなると、猫の見返り美人図だと言っても良さそうです。
(まぁ、猫は毛繕いしていて、こちら(画家)の視線に気付いて顔を向けただけかな・・・)
栖鳳は画室で猫を勝手気儘に遊ばせて描いていたそうです。

 

この絵独特の柔らかさは、墨を滲ませたところにあります。
烟るような滲みのグラデーションが猫の温もり、柔らかさを伝えているのです。
毛並みは1本1本描く伝統技法「毛描き」で丁寧に描かれています。(しかも1色ではない!)
猫の眼の吸引力はどこから来るのか?!
画面は白・金泥・黄土・黒がほとんどで、猫の眼だけ青や緑なんです。
しかも眼の下側に金を効かせるという心憎さ!!
(ビー玉などガラスに喩えられる猫の眼ですが、この絵では硬さは感じられず・・・
吸い込まれそうな色は淵っぽい?!)
モデルは、栖鳳が沼津に滞在していた際、八百屋の前の荷車で見かけた猫だそう。
画家は「徽宗(きそう)皇帝の猫がいるぞ」と言って、その場でスケッチしたものの満足出来ず、
八百屋のおカミさんに頼み込んで、1枚の絵と交換し譲り受けたんだとか。
(徽宗皇帝は政治的に無能だったが、書画に秀でた皇帝で猫の絵も残したとされます。)
京都まで連れてこられたモデル猫は、絵の完成後、画家が東京に行っている間に行方不明に!!
何とも不思議な縁のように感じますが、猫はやはり気儘な生き物?!

 

 竹内栖鳳は京都の人で、実家は料理屋でしたが画家を目指します。
丸山四条派で徹底した模写を学びますが、パーツ毎に流派を変えて描き分けたりしました。
〇〇流に師事→その流派で描くのが当然なのに、1枚の中に色んな流派が見られるのは常識外れ。
そのため、栖鳳は『鵺派』などと揶揄されました。
(鵺とは顔が猿、胴が貍、手足が虎、尾は蛇の妖怪。つまり色んな流派が混ざった絵をけなす声も
あったのですね。)

 

30代で欧州を旅した際にターナーやコローの影響を受け、西洋画を日本画に取り込もうとしました。
とても柔軟に良いところを吸収、昇華して日本画の可能性を求め続けたのです。
イタリアやオランダの風景を日本画で描いています。
また、旅の途中で本物のライオンを眼にし、動物園に通って写生に励みました。
獅子(あくまで想像の神獣)の絵しか知らない当時の日本人に、本物のライオンの姿を描いた作品は
衝撃だったことでしょう。
『動物を描けばそのにおいまで描く』と言われた栖鳳、他にも数々の生き物の絵を残しています。
描きたい動物は自宅庭に連れて来たので、いつも様々な生き物の鳴き声がしたそうです。
猿の悪戯に困ったり、写生中に軍鶏に攻撃された『トホホなエピソード』も残っているんですよ。

 

作品名:秋興(しゅうきょう)
製作年:1927
サイズ:172×70.7cm
所蔵 :京都国立近代美術館
作者 :竹内栖鳳(たけうちせいほう) 18641942

 

1924年 レジオンドヌール勲章受賞
1937年 第一回文化勲章を横山大観と共に受章
『東の大観、西の栖鳳』と称されました。(栖鳳に師事した上村松園も後に受章)
栖鳳は死の床にあっても、空中に指で描き続けていたそうです。
鵺に喩えられようと、四条派のトップと謳われようと栖鳳の姿勢は変わらず、
新しい日本画を最期まで描いていたのでしょう。

 

3/23()13:30〜栖鳳の作品をご紹介します。
お子さんと一緒に様々な生き物を日本画で楽しんでみませんか?ぜひご参加下さい。

 

参考文献
「巨匠の日本画 竹内栖鳳 生きものたちの四季」平野重光 編集
「竹内栖鳳」田中日佐夫 著
(注)まだら模様は「斑」の字を使うが、本作のタイトル「班猫」は画家の箱書きに由来。
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