大阪国際文化協会

10月クラシックの日

今月のクラシックの日、今回はカミーユ・サン=サーンスの「動物の謝肉祭」をご紹介しました。

カミーユ・サン=サーンスは1835年フランスに生まれ、1921年に没したので今年2021年は没後100周年。チェロの美しいメロディが印象的な「白鳥」や、交響曲第3番《オルガン付き》(メロディが映画『ベイブ』でも使われていました)などは、クラシックファンのみならず、広く知られているのではないでしょうか。

サン=サーンスは、1835年10月9日に生まれました。生後2ヶ月後で父が亡くなり、彼は母と大叔母の2人に育てられます。父はアマチュアの文筆家、母は絵を嗜み、大叔母は音楽家でしたが、少年カミーユの「神童ぶり」は、遺伝では説明がつかないものでした。2歳半でピアノを弾き始め、同時に自然科学の実験を行なう。楽譜に残されている最初の作曲は、3歳5ヶ月! あのモーツァルトでさえ、最初の作品は5歳のときのものです。

その後、5歳半で最初の歌曲「夕べ」を作曲し、6〜7歳のときにはラテン語とギリシャ語の文章を読んでいたそうです。1846年、10歳でコンサート・デビューすれば「新しいモーツァルト」と讃えられ、13歳でパリ音楽院に入学。その名のを通り「神童」として名を馳せました。

1853年12月18日、パリで行なわれた聖セシリア協会の演奏会で、「無名のドイツ人」による大交響曲が演奏され、成功を収めました。作曲者の正体が18歳のサン=サーンスだとわかったときの聴衆の驚きはどれほどだったでしょうか! 臨席していたベルリオーズや、シャルル・グノーも、青年サン=サーンスに賛辞を贈ったと伝えられています。

サン=サーンスが最初に触れた楽器はピアノでしたが、オルガン演奏でも即興演奏の名手として知られていました。22歳のときにはパリ8区のマドレーヌ教会のオルガニストに選ばれ、20年間務めました。マドレーヌ教会でのオルガニスト職は、当時パリでもっとも名誉あるポストでした(金銭だけでは計れませんが、他の教会と比べると年俸は大変良かったようです)。

オルガンの名手でもあったフランツ・リストは、サン=サーンスがオルガン用に編曲・演奏したリスト作品を聴いたあと、「サン=サーンスは世界でもっとも素晴らしいオルガニストだ」と、手紙に書いています。

現在サン=サーンスは、一般的にロマン派の中でも「古典的主義者」として紹介されることが多いですが、少なくとも当時のパリにおいてサン=サーンスは、バリバリの「革命家」でした。発表する作品はなかなか受け入れられず、若手作曲家の登竜門であるローマ賞にも落選してしまいます。

そもそも19世紀初頭〜中盤のパリには、作曲家に対する最高の非難である「ドイツ主義的」と見なされていた交響曲や室内楽曲を受け入れる土台がありませんでした(器楽作品自体、価値が少ないと思われていたようです)。 それでも、サン=サーンスは「フランスでの成功の証」であるオペラに取り組むと同時に、ベートーヴェンやシューマンなど「ドイツ主義的」な作品を演奏・紹介し、室内楽や交響曲を熱心に作曲していました。

サン=サーンスの頭脳は、音楽だけを追いかけていたわけではありません。本人の証言や記録によって、さまざまな顔をもっていたことがわかります。
・自由韻による詩集の詩人
・演劇の戯曲作家(喜劇『アペピ王』が成功)
・宇宙生成の理論に取り組んだ天文学者(フランス天文学会の発足メンバー)
・『精神主義と物質主義』、『問題と神秘』を著した哲学者
・長年、ギリシャの壺絵を研究し、講義も行なった考古学者
・異民族や異文化に関する資料を収集した民族学者

ほかにも、無数の似顔絵や漫画を描いたり、チェンバロ復興に力を尽くしたり……と、サン=サーンスの興味の範囲は留まることを知りません。半世紀にわたって音楽界の出来事を評論し続けた、ジャーナリストでもありました。

86歳という長寿で、作品番号があるものだけで169曲、全体では300曲以上という多作家でした。そんなサン=サーンスの全作品中でも、今日最も一般的に、ファミリー向け、子供向けコンサート曲として、広く人気なのが「動物の謝肉祭」です(1886年ごろ作曲) 。

いろいろな動物の名前の付けられた14曲の小品からなる組曲で,動物園の中を巡るような楽しさがあります。CDでは「ピーターと狼」と組み合わされることも多いため,一見,子供向けの作品に思われていますが,その分かりやすさの裏には,鋭い風刺精神が溢れています。「ピアニスト」「化石」などが出てくる辺り,ブラック・ユーモア的なセンスも感じられます。 サン=サーンス自身,「ふざけ過ぎている」と感じたのか,第13曲の有名な「白鳥」以外はサン=サーンスの生前には出版されていません。公開の場でも演奏されてきませんでしたが,その評判だけは広がっていたようで,サン=サーンスの亡くなった1922年に早速出版され,その後は描写音楽を代表する名曲として世界中で親しまれています。

知的好奇心旺盛なサン=サーンスが世に送り出した名曲はまだまだたくさん! 没後100周年を機に、さまざまな作品を聴いてみてはいかがでしょうか。

Scroll to Top