あっぷる de アート「デザイナーで画家」
右はグラスを持ち、左は葡萄が入った籠を持つ女性。
どちらも「ヴィーナスの誕生」(巨大な貝に立っている絵)の様な曲線を生かした優美な立ち姿。
女性の後ろの円に沿ったロゴを見ると・・・あの有名な〜お祝いで出てくるボトルの名前!!
コロナで家呑みが増えたと聞きますが、こんなポスターを観れば適量を楽しめそう?!
(アルコールが駄目な方は炭酸水にレモンや葡萄ジュースで如何でしょう♪)
(アルコールが駄目な方は炭酸水にレモンや葡萄ジュースで如何でしょう♪)
作品名:(左)シャンパン・ホワイトスター (右)グラン・クレマン・アンペリアル
製作年:1899年
作者 :アルフォンス・ミュシャ(チェコ) 1860~1939
カラーリトグラフ ポスター
カラーリトグラフ ポスター
何だか日本のファンタジー漫画に出てきそうな、女神キャラのイラストの様な作品ですよね。
輪郭線や平面的な表現は浮世絵の影響もあるそうで・・・やはり日本文化に通じる?!
植物と曲線の装飾美が特徴ですが、これぞ当時流行したアール・ヌーヴォー(新しい芸術)です。
アール・ヌーヴォーは鉄やガラスといった新しい素材も取り入れ、建築や工芸にも影響を及ぼした
美術運動でした。ミュシャは代表的な作家とされます。
ポスターは美しさ以上に広告性が重要です。(売れなきゃ、伝わらなきゃ意味がない!)
ドレスや葡萄の蔓の曲線が実はデザイン上の計算であり、巧みに商品ロゴへ視線を誘導。
女性がシャンパンやスパークリングのイメージを伝えています。(ブランドのイメージ戦略も成功)
ミュシャのポスターは酒類の他、ビスケット、自転車、煙草と様々な種類がありますが、
そもそも売れっ子になったきっかけは演劇のポスターでした。
それはクリスマスに入った1本の電話。
年明けから始まる舞台「ジスモンダ」のポスター依頼でした。
皆クリスマス休暇で、一人居たミュシャが数日で仕上げたのです。
主役は女優サラ・ベルナール。貼り出されるやミュシャのポスターは大評判で、サラも大満足。
6年の契約を結んだそうです。
(ミュシャなら自分の魅力・役柄、演目を存分に売り込むポスターを作ると確信したのでしょう)
(ミュシャなら自分の魅力・役柄、演目を存分に売り込むポスターを作ると確信したのでしょう)
ポスターで名を馳せたミュシャの装飾性はカレンダーや挿画の他、装飾品にも生かされました。
プラハの聖ヴィート大聖堂のステンドグラスも手掛けています。
パリでのミュシャはデザイナーの顔を持ちますが、1910年に故郷に戻ってからの油彩画の連作
「スラヴ叙事詩」は画家としての集大成です。
作品名:スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」
製作年:1912年
サイズ:610×810cm
所蔵 :(恒常展示館建設予定)
作者 :アルフォンス・ミュシャ(チェコ) 1860~1939
スラヴ民族とチェコの歴史が描かれたミュシャの「スラヴ叙事詩」は20枚もの連作を17年かけて
完成されました。(スメタナの「わが祖国」に触発されたそう)
1枚目の本作は3〜6世紀のスラヴ民族の姿。
左後ろの明かりは炎で、異民族の騎馬兵に怯えるスラヴの男女が描かれています。
浮かび現れているのは、おそらくスラヴの神スヴァントヴィトです。(連作の2枚目にも登場)
両手を広げる姿が地上の二人を庇っている?!先の辛苦が見えつつも幸あれと見守っている?!
左右の男女は闘いと平和を表すそうです。(全体の青と衣服の赤と白がスラヴの色)
苦難の歴史を思えば、夜空に多くの星が瞬いているのが印象的ですね。
ミュシャは「絵画によって人々の心に連帯と平和をもたらすことができる」と考えていたそうです。
ミュシャは「絵画によって人々の心に連帯と平和をもたらすことができる」と考えていたそうです。
ミュシャが誕生したモラヴィアはオーストリア帝国領でした。
→1918年にオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊。
→チェコスロバキアが誕生。(ミュシャは新国家の財政を案じ、紙幣や切手を無償でデザイン)
→1939年にはナチスドイツにより新国家は解体。
ミュシャはナチスの尋問を受けた後、釈放されたものの間もなく病死。
ミュシャの「スラヴ叙事詩」に込められた己の血や民族の誇り、
故国への思いは時を経ても画面から語りかけてくるのです。
故国への思いは時を経ても画面から語りかけてくるのです。
参考文献
「アルフォンス・ミュシャの世界」海野弘 著
「もっと知りたいミュシャ 生涯と作品 改訂版」千足伸行 著