大阪国際文化協会

あっぷる de アート「受け継がれる和紋」

皆さん今年の節分もお子さんと豆撒きを楽しまれたでしょうか?!
大人気アニメを真似て豆を撒かずに、鬼をやっつけようと何かを振り回した子も?!
あの作品は古典柄が多用されており、随所に水、波、雲、霞等の和紋を見つける事が出来ますね。
登場人物の羽織は『一松』『麻の葉』『鱗』等。
(東京五輪2020のエンブレムは組一松紋でした。)
今回はアニメにも息づく和紋の一つ『流水紋』と梅の傑作をご紹介♪

 

作品名:紅白梅図屏風(国宝)
製作年:18世紀
サイズ:156.0×172.2cm (二曲一双)
所蔵 : MOA美術館
作者 :尾形光琳 16581716

 

右隻の紅梅は、天に向かって伸びる枝から若い木であることを表し、(花や蕾が多い)
左隻の白梅は、ぐっと下げた枝から老木を表しています。(年月を経て節くれだっている)
(紅梅は踏ん張って胸を反らし、白梅はお辞儀か腰曲がった状態に見えるような〜)
全体像が分かる紅梅と、ズバッとカット構成した白梅の左右対比が格好良い!

梅の木には俵屋宗達が始めたとされる『たらし込み』技法を用いています。
『たらし込み』とは、先に塗った墨等が乾かないうちに、次を入れて滲ませる技法。
偶然と計算の双方が要求されそうですが、光琳は木肌や苔をリアルに表現。

一方、こちらに向かって流れてくる川は大胆にも『流水紋』と図案化。
(全く別の表現なのに、まとめちゃってます!)
左右背景の金に対し、真ん中を流れる川は黒と対比も見事に効いてます。
この川の黒ですが、ただ墨か何かで塗りつぶしたんじゃないそうで・・・。
化学調査により、銀箔を硫黄で硫化し黒く変色させたのでは?!と推測されています。
(何て凝った技法なの~まさに化学実験じゃないの!)
銀色だった『流水紋』は経年変化で変色、将来は川の黒に溶け込んでしまうかも・・・。

咲き誇る左右の梅の花、一つ一つはシンプル化されています。
光琳作品はデザイン性の魅力も大きく、他に応用し易いのでしょう。
今も『光琳梅』と呼ばれ、和服、茶道具、工芸品、和菓子・・・と受け継がれています。
皆さんも何処かで『光琳梅』や『光琳波』を目にされているはず♪
(そういえば『光琳梅』の他に『光琳菊』の和菓子もあったな~デパ地下が懐かしいわぁ)
本作は計算された配置やリズム感、装飾性から光琳の晩年作であり、琳派の一到達点であるとされます。

様々な研究がなされてきた『紅白梅図屏風』ですが、左右の梅から浮かぶものがあります。
それは、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』
配置が重なるそうなのですが、如何ですか?!
(あっ、風神雷神は鬼ではないですよ〜良い子は豆をぶつけたり、鬼狩りごっこは無しで!)

 

作品名:風神雷神図屏風
製作年:17世紀前半?
サイズ:154.5×169.8cm (二曲一双)
所蔵 : 建仁寺
作者 :俵屋宗達(1570?1643?)

『風神雷神図屏風』は、俵屋宗達→尾形光琳→酒井抱一とほぼ100年毎に描かれた作品です。
(光琳バージョンと抱一バージョンはオマージュ作品)
琳派と括られますが、彼らは直接会って教えたり学んだりはしていません。
残された作品から後の絵師達は、影響を受け吸収していったのです。
先にあげた『たらし込み』という技法は風神雷神の足元の雲で使われています。俵屋宗達に影響を受けた尾形光琳ですが、光琳の作品が洗練されている理由は生家にありそうです。

立派な呉服屋さんの次男として生まれた光琳。
美しい物に囲まれ図案帖だって目にしたでしょう。
裕福で能や茶道、書と何でも嗜む事が出来る環境〜のはずが、良いものを知ってるが故に遊びの方も?!
遺産を使い果たし、弟に借金するほど困ったりもしたのだそう。
(色々と吸収出来たのは良かったんだけどねぇ、限度ってもんがね・・・
後世の私達は放蕩の限りを尽くさずとも、国宝となった傑作を観られて幸せです。)

何にでも描けちゃう人だった光琳のデザイン性は『紅白梅図屏風』以外にも見られ、屏風、扇、小袖、
蒔絵・・・と様々な作品に表されたのです。
(弟の尾形乾山の陶器に絵付けした兄弟コラボも♪)

梅が香れば桜と日本のピンクが次々と開花。
昨年末から極寒日が多いし、しんどい事が続くけど、春は巡ってきますよ。

参考文献
「別冊太陽232 尾形光琳」河野 元昭(監修)
「黒い水流の謎 光琳『紅白梅図屏風』の描法を再現する」棚橋 映水

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