大阪国際文化協会

あっぷる de アート「ウィーンのひまわり」

ひまわりを描いた画家といえばゴッホですが、今回はシーレのシャープなひまわりをご紹介。

作品名:ひまわり
製作年:1909〜1910年
サイズ:150×29.8cm
所蔵 :ウィーン美術館
作者 :エゴン・シーレ 1890~1918(オーストリア=ハンガリー)

「枯れた花じゃないか!」と思われましたか?!
確かに枯れていますが・・・線描が得意なシーレだからか、格好良くキレのある作品。
(展覧会グッズでも人気だったし、現代の部屋に飾っても映えそう♪)
垂れ下がった葉が簡略化され、ひまわりの高さに極端な縦長構図がぴったり。
足元の小花は赤・オレンジ・黄が鮮やかで、枯れゆくひまわりとの対比効果。
この小花は師匠クリムトの作品に似ています。(やはり意識したよね?!)

作品名:ひまわり
製作年:1906〜1907年
サイズ:110×110cm
所蔵 :個人蔵
作者 :グスタフ・クリムト 1862~1918(オーストリア帝国)

ゴッホは仲間との共同制作活動を夢見て輝くひまわりを描き、
クリムトは女性モデルを思い出させる装飾的なひまわりを描きました。
二人の影響を受けたシーレは、また別のひまわりを描いたのです。
枯れるひまわり・・・生と死を感じさせる作品が多いシーレらしい。
いずれ訪れる死と捉えるか、ぎっしり詰まった種から続く生命を感じるか。
他にも様々な捉え方が出来そうです♪

エゴン・シーレはウィーン美術学校に入学するも数年で退学、グスタフ・クリムトを師と仰ぎます。
(ウィーン美術学校ってヒトラーが入れなかった所なの)
クリムトもアカデミーに反発した人なので、歳が2倍差でもシーレの心を理解したのでしょう。
才能を見抜き援助を惜しみませんでした。

シーレは内面も曝け出すヌードや自画像を多数残しました。
また、妹ゲルティをはじめ思春期やそれ以前の子も多く描いています。
際立つ線から伝わるヒリヒリ感は、モデルのものであると同時にシーレのもの。
(常に境界線ギリギリに立っている若者といった感じ?!)

作品名: オレンジ色の服を着て跪く女
製作年:1910年
サイズ:44.9×31.4cm
所蔵 :レオポルド美術館(ウィーン)
作者 :エゴン・シーレ 1890~1918

女の子を自宅に誘いこんでは描いていたシーレ。(う、う〜ん)
「一晩一緒にいた」との家出少女の発言から、投獄されています。
(何もなかったと言っても通用せず)
誘拐告訴は取り下げられたものの、子供に猥褻な絵を見せたと問答無用。
(露骨なポーズもあり・・・芸術か猥褻かあるあるエピソードね)

私生活は師匠クリムトのモデルだったヴァリーと共にしていたシーレ。
ヴァリーは投獄中も献身的なミューズでしたが、シーレは裕福なエディトと結婚。
(モデルや踊り子が結婚相手に良いとは思われなかった残酷な時代)
第一次世界大戦の従軍看護婦となったヴァリーは猩紅熱で亡くなります。
一方、シーレは新婚数日で徴兵されるも芸術家ということで、前線に立つことは無かったのです。
ロシア兵捕虜を描き、彼らとの会話から「平和への思いは彼らも僕らも同じ」と感じるように。

作品名:4本の木
製作年:1917年
サイズ:111×140cm
所蔵 :オーストリア美術館
作者 :エゴン・シーレ 1890~1918

1918年シーレはクリムトが亡くなった直後の分離派展で成功。
かつて、クリムトが結成したウィーン分離派を戦後、シーレが牽引する筈が・・・
妻のエディトがスペイン風邪(インフルエンザ)で子供を宿したまま亡くなります。(シーレも感染)
三日後、世紀末ウィーンの尖った感性も28歳でこの世に別れを告げました。
平和を求め、あらゆる芸術家が集い協力する場の創設を胸に抱いたまま・・・

参考文献
「エゴン・シーレ –二重の自画像-」坂崎乙郎(著)
「永遠なる子供 エゴン・シーレ」黒井千次(著)
「エゴン・シーレ【自作を語る画文集】永遠の子ども」伊藤直子(訳編)

Scroll to Top